本日は朝から整体。
おかげで少し気持ちも身体もかる~くなった。
ジュリアンシュナーベルが監督してる映画ということで、
興味がわいて半年振りくらいの映画鑑賞。
「潜水服は蝶の夢を見る」
相当よかった。
途中、なくなったぴっちゃんのことなども
思い出してしまったけど、
良い映画だった。
しかし、現代美術作家はいつのまにか映画で
成功していたのか。
というか、好きで何度もみていた
「バスキア」も彼が監督だったわけで、
今まで気がついていなかったのが、恥ずかしい。
いくつも心に残るシーンがあったけど、
「想像力と記憶は残っている。」
とても印象的な台詞。
この作品、もう何回かみてみたい。
でも、3月7日までになっていた。
野田さんの快挙もうれしいニュース。
「環境を変える必要があった」という言葉が
妙に残った。いつまでもチャレンジを恐れない人。
根っからの芸術家なんだな。
やっぱり天才肌なんだな。
1月に終わったばかりの「キル」が
4月にもうwowowで放送されるのね。
うれしい。
いいもの、常にみたり聞いたりしていたい。
映画ではエッフェル塔がでてきたんだけど、
コンフィダントでも出てきたな。
まだフランスには行ったことがないので、いきたくなったよ。
印象派いっぱいみたいな。
ニューヨークも5年くらい行ってないかな。
MOMA改築してから、まだ1度もいっていない。
いきたいぞ!!
そういえば、関西だけなのかなあ。
土曜の深夜は「ホラスタ」が終わって寂しかったけど、
現代用語の基礎体力があるんだよね。
これ、絶対みよう。
とくに何というまとめもない日記でした。
今日、とてつもなく暇だったので、
ひろしま美術館に行ってきました。
そこには、宝箱を開けたような、そんな世界が広がっていました。
印象派のモネ、ドガ、ルノワール、ポスト印象派のゴッホ、ポール・ゴーギャン
キュビズムのピカソ、シュールレアリズムのダリ、
言葉には、表せないような世界がそこにはありました。
画家のモネ、お前は、天才だ。
そして、ダリ、、、お前は、ど変態だ。
ゴッホ、お前は、、、Punkだ。
ロートレック、お前は、、、ガラスの少年だ>
そんなことを勝手に銘々しながら絵を見ていました。
中には、
自分の世界感に似ているなって感じる画家の絵がありました。
シャガールです。
いやなんか、なんとなく世界の捉え方が似ているとしか言いようがないだけど、
なんか、すごい自分と似ていると感じました。
そして今回、絵を見に行って思いました。
もっと勉強しようって思いました。
よし、これから絵を描こう。
音楽かぁ~・・・・・、とりあえず、当分休憩。
そんなことよりも、絵だ !!!!!!!!!!
そんなことも考えた1日でした。
最近は「ローマ人の物語」9巻のトライアヌス帝とハドリアヌス帝を読んでいるのですが、ローマ帝国の最北端として英国が出てきます。
ユリウス・カエサルがブリタニア遠征をして、その後の英国へのローマ軍の進出でロンディウムというラテン語で呼ばれたロンドンですが、その当時の様子はあまり書かれていません。
地中海を中心とした紀元前後の時代ですから、今の英国やドイツ、ロシアなどは話にも上りません。それよりも東方のオリエントの地の方が常に何かしらの脅威を与えるらしく、その文明の古さと高さと、国王を持つ国々の統治の難しさを伝えます。
自分にとってのヨーロッパの印象は、それこそ近代に入りかけた印象派の絵画によって垣間見る景色や人物や風物の断片でしかありませんでした。
田舎育ちの私には外国との接点は何一つなかったからでもあります。せいぜい、百科事典の別冊に美術全集があり、それを日向ぼっこしながらよく見ていたことぐらいです。中高時代の美術の教科書もありきたりではありますが、外国への興味をもたらすものでした。
高校を卒業するまでは田舎から出たことはなく、一人で都会に遊びに行ったり親戚の家に行ったりというようなことはほとんどなかったのです。電車の時刻表の読み方も知らなかったですしね。
最近は自分で稼いだもので海外旅行に出かけることが重なり、30代終わりごろからは遠慮せずに世界のあちこちを見て回るようにしています。
行先を決めるのは単純で、世界地図の見開きにあるグランドキャニオンやナイアガラの滝から始まり、南半球の太陽が東から北にそして西に移動するのを見たり、カーモスという日の昇らない北極圏に行ってみたり、スペースシャトルの打ち上げるところまで行って見たりと気の向くままです。
今回は英語のテキストの最初にあったブリティッシュ・ミュージアムに行こうと思います。世界中回らなくても世界のいろいろな地域別に分けられて展示されているそうなので、歴史や文明、文化などをサラッと見ることができそうです。
英国は大英帝国として植民地政策を行っていたことが良いか悪いかは別として、世界の勝ち組として君臨している国の一つです。その経済力の強さを感じることができるかどうかはわかりませんが、行ってきたいと思います。
世界中の国々の繁栄と衰退は歴史の中で繰り返されていることではありますが、今の時代にしか生きられない自分にとっては、こうやってあちこちに出掛けては刺激を受けながら生き続けるしかないのだと思います。
自分の短い人生をどのように生きていくのかは、どの時代の人も同じように思い悩んだことだろうとは思います。人間の宿命としてはDNAの継続というか、生きるものは子孫を残すというという運命にあるようなのですが、そんな高度な宿命を理解するというよりも、やはり単純に笑って怒って悲しんで楽しむという日常を過ごしていくしかないのでしょう。
田舎にいたときには一生外国とは縁がないと思っていましたが、今は嫌でも英語を話さないといけません。英語を話すというような高度な事は出来なくても、英語表示に従っていかなければなりません。世界中の共通語ともいえる勢いの英語の本場に行くのですが、たぶんやっぱり英語は少ししかわからないだろうと思います。
こうなったら、日本語でたくさんの情報を仕入れていくという作戦しかないでしょう。
大層暇なので、今週末はジグソーパズルに挑戦してみた。
一時期、母が大層夢中になっていた。
おかげで、うちには沢山のジグソーパズルが眠っている。
母が寝る間を惜しんでやっているのを眺めつつ、
(何処が楽しいのだろう)
と、密かに思っていた。
一人遊びもいろいろあるが、私がやったことのあるものは限られている。
折角、こんなにも暇なのだから、やったことの無い、関心の無いものをやってみるのも、一興かもしれない、と思ってしまったのが大間違い。
本当に楽しくなかった。
でも、崩してしまったから、組み立てないわけにはいかない。
半ば義務感でうんざりしながら500ピースほどのそれをやった。
最後のほうは母も手伝ってくれた。
やっと出来上がったのはルノワール作「イレーヌ嬢」
半泣きになってやる私に母が一言。
「初心者が印象派をやろうなんて無茶なんだよ」
確かに。
線が無いんだもの。
背景の色までも、人物の色に沿って変わっている。
遠めで見ると、きちんと色分けしているように見えるけれど、近くはいろんな色が混じっていて、だんだんと色が変わっている。
ほんっとうに大変だった。
楽しくなかった。
ちょこっとだけ、印象派のなんたるかが見えたようなきがするような、しないような。
国立新美術館に「没後50年 横山大観――新たなる伝説へ」を観にいってきました。
横山大観といえば、日本画の巨匠。
大きな絵、迫力ある絵を目の前に見て、ガーンと感動させられたいと思って会場に向かいました。
*
横山大観は1868年(明治元年)に旧水戸藩士の長男として生まれました。
絵に興味を持ち、狩野派の巨匠・狩野芳崖らに教え受けたのち東京美術学校(現・東京藝術大学)に第一期生として入学。岡倉天心などに学び、卒業後は助教授に就任します。
しかし、大学内の内紛により天心の排斥運動が起こり、大観も師に従って職を辞します。
その後、貧しさの中で日本画の改革運動を推進。
西洋画の画法を日本画に取り入れた新た画風の研究を重ね、やがて輪郭線を描かない「朦朧体」と呼ばれる新たな画風を創りだしました。
空刷毛を用いて輪郭をぼかし、空気感を表現するわけです。
しかし、既存の画壇からは「勢いに欠ける、曖昧でぼんやりとした画風」と激しい非難を浴びました。
「朦朧体」という言葉自体、侮蔑の意味で使われたとか。
なんだか印象派と似てますね。
第一回の「印象派展」が開催されたのが1874年ですから、実際に直接的な影響もあったのではないでしょうか。
印象派が浮世絵など日本美術の影響から生まれ、その印象派からの影響が黒田清輝や梅原隆三郎といった洋画家たちだけでなく、大観ら日本画をもを変えた‥‥面白いですね。
その後、大観は菱田春草らとともに海外に渡り、欧米で展覧会を開き、高い評価を得ます。
それを受けて日本国内でも新しい画風が評価されはじめ、やがて大観は日本画壇の重鎮として確固たる地位を築くのでした。
彼は戦時中、真っ赤な丸い太陽と共に冨士を描いたり、紀元二千六百年を祝って展覧会を開き、その売上金を陸海軍に寄付したりもしています。そのお金で軍用機4機が作られたのだとか。
彼は第一回文化勲章の受章者でもあります。
大観は、1958年(昭和33年)に89歳で死去しました。
*
今回の展覧会では、厳島神社に奉納されている大作「屈原」や、大観の代表作である「生々流転」といった墨画や色絵の軸や屏風、巻物など約70点が展示されています。
会場に入ってすぐ「屈原」の大きな絵が出迎えてくれました(真ん中の画像)。
迫力です!
讒言により政界から追放され汨羅の淵に入水して果てた屈原に、大学を追われた師・天心を重ねて描いているのだとか。
「生々流転」は、大気が集まって1粒の水となり、それが川をなしてやがて海へ注ぎ、最後に龍となって天へ昇るという「水の一生」を描いた墨絵の絵巻。
40メートルを超える全巻が、長~いガラスケースの中に広げて展示してありました。
大観の絵を実際に見るのは今回が初めて。
ふむふむ、と順路どおりに作品を眺めながら進んでいき‥‥。
あれ? なんだか、ぜんぜん感動しない‥‥‥‥‥うーん。
あのですね、なんだか‥‥、なんだか‥‥。
大観、下手なんですケド。
筆致に勢いがなくて、まるでなぞってるみたい‥‥。
塗ってます、描いてます、表現してます‥‥っていう、書き手の作為が、作品全体を見ようとするのを邪魔する感じ。
字が上手じゃない人は、絵も上手じゃないと私は思うのですが、落款や、作品に添えられている文字を見る限り、大観って字がそんなに上手くないんですよね~。
ふと、もしかして、大観って、絵がそんなに好きではなかったのでは、と思う。
好きで、楽しくて、夢中になって描いた--描かずにいられなかったという感じがしない。
頭で考えて、工夫して、努力して、作り上げた絵という感じ。
少し離れて筆跡が見えなくなると、素敵だなあと思えます。構図や色遣いなどが、きっと緻密に計算されてるんでしょう。
「屈原」にしろ「生々流転」にしろ、まず「感覚」があるのではなく、「思考」がある絵。
つまり、大観にとって絵は、自分や師・天心の思想や意思、精神を表現し、伝えるための「手段」であり、「道具」であったのではないか‥‥今回、この日記を書くために大観の略歴を調べてみて、よけいそういう思いを強くしました。
少なくとも、私にとって大観は「好き」な絵ではありませんでした。
「よーし、今日は感動するゾ!」と意気込んで行くと、期待が空回りしてダメですね‥‥。
※基本的に「いいなあ」と思った展覧会だけ日記に書こうと思っているのですが、今回は「一般の評価」と、「自分の印象」があまりにも違ったので、自分が感じた感覚を言葉で整理してみるために、日記にまとめてみました。
今日はひろしま美術館に行って来た。
『田園讃歌』と題し、ミレーやモネを中心とした19世紀の画家たちの、主に農村風景を描いた絵画の展覧会である。
ミレーの『落穂拾い、夏』やモネの『ジヴェルニーの積みわら、夕日』という絵が目玉のようだった。
ミレーの「落穂拾い」。中学校の頃は、おばさんたちが落ち葉かごみかを拾っているんだろ、位にしか思ってなかった(笑)が、実際は全然違うと知ったのは大学を卒業してから。ふらふら
当時のフランスでは、畑の持ち主が全ての麦を収穫することは許されておらず、貧しい農民たちがあとから落穂を拾うことが出来るように、わざと残しておくよう定められていたそうなのである。
ミレーの『落穂拾い』は、残り物の落穂を拾っている農婦を尊敬を持って描いている絵なのだ。
黒田清輝の絵も後半あったが、彼がかなりミレーの影響を受けて、農民が労働している姿を描いているということにも驚いた。
モネはよく「光の画家」と形容されることが多いが、まさにその名にふさわしい、赤みがかった夕焼けの光が、バックから積みわらをやさしく包み込んでいるような絵だった。
今まで、印象派を軽視していたが、実物を見て圧倒された。その場を立ち去り難く、他の絵を見てはまたそこに戻るということを何度か繰り返した。
ミレーは、働く農民の姿に崇高な宗教的といえるほどの感情を持って描いているので、労働する農民が主役だが、モネの絵には労働する人はおろか、人物が一切出てきていない。ただ目の前の光の美しさを留めようとしているだけのようである。
同じ農村を描きながら、見るものが全く違うということに驚くが、どちらの絵も素晴らしい。
帰りがけに、ミレーの『種まく人』のキーホルダーとモネのクリアファイルを買った。
いい日だった。
古くはNHKの日曜美術館とか最近では迷宮美術館など
そんなのをたまーに視る程度だったのだが、、
最近、友達が実はイタリアにすごく関心を持っているということが
分かって、その熱がぼくに飛び火しそうな予感がしている。
たまたま、広告で次の美術展があることを知った。
ウルビーノのヴィーナス| 国立西洋美術館にて日本初公開!
東京都台東区上野公園7-7 国立西洋美術館
2008年3月4日~2008年5月18日
休業日 月曜(4月28日、5月5日は開館、5月7日は休館)
JR上野駅公園口から徒歩1分
概要説明より、主タイトルのヴィーナスとは、
カメリーノ公、某(後のウルビーノ公となる人物)の注文で
ティツィアーノによって描かれ、1538年に納入された絵らしい。
なぜ有名なのかというと、西洋絵画の裸体表現が、
より挑発的になって、宗教絵画が肉感的な地上の女性を
描く契機になった作品という位置づけらしい。
ということは、現在の西洋の美意識の源流にもなっているし、
西洋の影響を多分に受けている日本の美意識にも何らかの
影響を与えていると思われる。
日本人って、印象派とかルネサンスが好きなので、
かなり人は入るんだろうなーと予想する。
ぼくはとくに足を運んでまで観たいとは思わないが、
そんなのがあるという事実を知ったのはよかった。
イタリアといえば、ローマ帝国ありき、
日本ではかなり馴染みのあるシルクロードは、
近代以前の特にローマ帝国のシリアのアンティオキア~
中国(秦・漢~唐)の洛陽を結ぶ3路線であったし、
最近は、チェーザレ・ボルジアというルネサンス期の
軍人・政治家をを主人公にした日本のマンガとかあったり
するようで、
この人は31歳で若死(1475-1507)にするみたいだが、
年代的にいうとダ・ヴィンチ(1452-1519)と同時代の人で、
面識もあったらしい。ちなみに、ウルビーノのヴィーナスを
描いたティツィアーノ(1490-1576)は少しだけ後(後世)の人。
今日初めてオルセー美術館に行ってきた。
毎月1日を芸術の日と決めて回っている俺。
ルーブル・オランジュリー・ロダン・・・・
やっと今日はオルセーの日。
お昼過ぎまでインラインスケートの練習をして、
そこからオルセーへ向かう。
(まだちゃんとインラインはがんばってます!)
「印象派が好きな方は一番上からどうぞ」と地球の歩き方に書いてあったので、
その通り上から突入。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
なんじゃこりゃ?
なんだこれは?
・・・・・・・・・・・・・・・・・。
何も言葉が出てこない。
「うおっ」
「まじ?」
「すげえ」
「えっ?これも」
それくらいしか出てこない。
あえて言うなら
「すごすばらしい。」
俺にはそれしか出てきません。
3時間居て一番上のとこしか観れなかった俺。
あと2回は最低行きたいね。
ほんとに感動しっぱなしな3時間だったなー。
昔に勉強した絵とか。
昔どっかで見て頭に残っていた絵とか。
ごろごろ普通に置いてあるんだよ。
特にカバーとかセキュリティとかもしてなくてさ。
触ろうと思えば触れるんだぜ?
信じられるかい??
今まででほんとに厳重警護だったのはモナリザくらいかなあ。
本物の芸術に触れていられるこの幸せな事を
今日改めて実感した。
そしてつくずく今の環境の素晴らしさをかみ締めれた。
「ゴッホの部屋」
題名までよく覚えてなかったんだけど、
俺の思い入れの深い絵だったんだ。
それとこのオルセーで15年ぶりの再会。
写真と絵と違いはあるけど、
俺の頭の中では一緒なんですよね。
ちゃんとその時の思いでも一緒に思い出してさ。
思わず涙腺が緩みそうになったくらい、
なんか思いが込み上げてきたしね。
絵の方はそんな俺の思いを知らずに、
当たり前な顔をして当たり前に座ってたっけ。
ちゃんと覚えているもんだよなあ。
観るまで全然忘れていたからね。
ちゃんと引き出しは引き出されるんだ。
その事を発見した。
そしてその後から俺の一押し美術館はここになった。
ここに来る前まではオランジュリーだったのに(笑)
人間の意見なんてすぐに変わるもんだ。
その事も発見した。
こっちに来てからまじ毎日色んな発見がある。
意識する事の大切さを最近学んでいます。
日本ではどんな発見が待ってるんだろう?
これからの人生にはふどんな発見が待っているのだろう?
そんじゃ。
また。
ちなみにこの写真はオブジェに感動して、
即撮り!
日本じゃこんなのあったらめちゃくちゃ叩かれるんだろうなぁ。
でもフランスではこんな場所(結構大きくて有名な場所)におけちゃんだもん。
それがフランスとパリとの違いの一つなんだろうね。
みんなはこれありかい?
俺はもちろんあり!!
日曜日、渋谷bunkamuraで開催されているルノワール展を見に行きました。
って書くと、胎教のため?って思われがちだけど、ちがうよ~
もともと、印象派の絵が大好きなんですハート達(複数ハート)
あれは、小学生の頃、本を読むのがきらいで、
夏休み恒例の宿題、感想文は、毎年同じ本の感想文を提出してたっけ(笑)
今は結構いろいろ読むんだけど、あの頃は苦手だったなーふらふら
だから、図書室での読書の時間、、退屈で退屈で、、眠い(睡眠)
文字が無く、写真がいっぱい掲載されてる、美術館の本をよく読んでた、いや、見てたんでするんるん
特に、印象派点描画家として有名なジョルジュ・スーラの最後の傑作"サーカス"が好きだったな~指でOK
一応その小学校で、読書をせず、絵の本ばかり見ていた甲斐あって、
フランス一人旅の時、初日にパスポートや財布を全部ひったくられた私は、
美術館で出会った老夫婦に絵の解説をしたら喜ばれ、ご飯おごってもらって食いつないだっけ。
それくらい、結構好きなんですよあせあせ(飛び散る汗)
前置き長くなりましたが、こういう訳で、
ルノワール展見たくて見たくて、
旦那にせがんで連れてってもらいました。
もちろん旦那は全く興味なし!
外でお茶してようかな~って言ってたくらいだから(笑)
bunkamuraは広い会場じゃなかったけど、
ルノワールの家族の絵が所狭しと飾られていて、
中には映像もあり、それはルノワールの次男のジャンが、
お父さんの絵から飛び出した様な映像を映画監督として撮影してて、
その作品に長男ピエールも俳優として出演していたりと
ルノワール家家族の絆の強さが感じられる展示会でした揺れるハート
特に、ルノワールの妻の絵が印象的だったなー。
朗らかで、健康的で、あたたかい眼差しの女性乙女座
あの絵を見ていると、こちらもすごーくあったかーい気持ちになります~晴れ
自分が母親になった時、彼女ような顔をしていたいですね~わーい(嬉しい顔)
結局、これは胎教に良いぞ、と大満足な午後でしたウインク
ちょっと混んでてゆっくり見れないけど、
平日とか、あまり人が居ない時間帯に行くのは良いんじゃないかな~
お勧めですexclamation
五千年の歴史を持つ印度の伝統医学「アーユルヴェーダ」
サンスクリット語で"生命の科学"と言う意味だそうです。
Ayurが生命・寿命、vedaが科学もしくは知識、知恵を表します。
宇宙のすべては5つの元素からなると考えます。
★無生物(物質)は五大元素(空、風、火、水、土)
★生物は五大元素とアートマン(魂、純粋意識)の結合体
五大元素(パンチャマハブータ)
空、風、火、水、土
1. 地
2. 水
3. 火
4. 風
5. 空
「土、水、火、風、空」が人間の身体を作っている基本要素であり
すべてのことが5元素で説明がつくということだそうです。
例えば、中身が詰まって固い部分は地から成り
消化をつかさどる消化酵素は火から成り、
空洞の部分は空から成っています。
この5元素は身体の中では、
その組み合わせによって
3つの種類の生命エネルギーを形成しています。
アーユルヴェーダでは、この生命エネルギーを
「ドーシャ」といいます。
3種類あるため
「トリ・ドーシャ」と呼んでいます。
これら3つのドーシャはそれぞれサンスクリット語で
「ヴァータ」空+風
「ピッタ」火+水
「カパ」水+土
と呼ばれます。
★重要な基本原理
1. ダートゥ
身体を維持し、栄養を運ぶ基本的な組織。
人体組織には
乳び、血液、筋肉、脂肪、骨、骨髄、精子・卵子の7種類があります。 健康を保つためには、 それぞれのダートゥが正しい量でバランスを保っていることが大切です。
2. マラ
代謝作用の結果、体内に溜まる老廃物。
尿、便、汗などが主なマラです。
健康を維持するにはマラを正しく排出することが大切です。
マラの蓄積は多くの病気の原因となります。
3. スロータス
体内で食べ物、ダートゥ、マラ、ドーシャなどを運搬する経路。
いろいろなものが所定の場所に運ばれるためには、
スロータスが正しく機能していなければなりません。
スロータスの閉塞は多くの病気の原因になります。
4. アグニ
消化酵素。
ひとつの物質を別の物質に変える働きをします。
以上の要素がバランスよく保たれることで、
健康をを保つことができます。
これらは互いに関係しあっており、
直接的にも間接的にもドーシャ(生命エネルギー)
のバランス維持に影響しているそうです。